逃亡者の末路

 松山市で1982年に起きたホステス殺害死体遺棄事件で、15年近い逃亡生活の末、時効直前に逮捕され、強盗殺人罪無期懲役の判決を受けた福田和子受刑者が服役先の和歌山県内で死亡していたことが25日、分かった。逮捕から8年、57歳だった。
 関係者によると、福田受刑者は今年2月下旬、服役先の和歌山刑務所内で倒れ、同県内の病院に搬送された。緊急手術を受けたが意識を戻すことなく、3月10日に死亡した。脳梗塞(こうそく)だったという。

おれはこのヒトの逃亡時代だった90年前後頃、当時よく行ってた喫茶店のマスターがこのヒトと高校時代だったか同じクラスだったそうで、「時々警察が話聞きにくるんよ。見かけんかったかーゆうて。時々娘には会いに来よるらしいわい。けどそれでも捕まらんゆうんやけん、まあ大したもんよなぁ」とか話してたのをよく憶えている。

 福田受刑者は82年8月19日、ホステス(当時31歳)を絞殺、現金や家具など計1000万円相当を奪い遺体を山林に埋めて逃走した。その後、顔を整形し、20以上の偽名を使うなどして全国各地を転々としたという。

 時効まであと1年の96年8月、愛媛県警察協会が全国で初めて100万円の懸賞金をかけ、情報提供を呼びかけた。翌97年7月29日、市民の情報提供で福井市内に潜伏していることがわかり、時効3週間前に強盗殺人容疑で逮捕された。

 松山地裁で99年5月、無期懲役を言い渡されて控訴したが、高松高裁は2000年12月に1審判決を支持。上告したが、最高裁が03年11月に棄却し、刑が確定していた。

なんともまあ、壮絶な人生だったことよなぁ。